『菊と刀』を読んで

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●アメリカ

① 倫理観

・絶対的倫理基準

・罪の文化:自身の良心を咎めることによって、行動が制約される。ゆえに、罪の意識によって人間はよりよく生きることができる。罪は他人に見られていなくても悩むものである。ただし、告白することでその悩みは解消され得る。

②宗教

・キリスト教::絶対的な倫理規範を与えてくれる

・「理性的な自己」によって自分自身を律する(自己の二元性を尊重)

③主義

・平等主義:個人のネゴシエーション能力を前提条件としている。

・物質主義:物質的に、合理性を追求する。

●日本

① 倫理観

・相対的倫理基準

・恥の文化:他人からの判断によって、行動が制約される。他人に見られていない限りは、恥を書くことないが、一度恥をかいてしまうと、取り返しがつかない。

② 宗教

・禅宗

・性善説的

・自制:「無我の境地」へ達するための鍛錬

・目的:」「自己観察」の制約(=恥)から自由になる、つまり二元性を一元的にする」
e.g)死んだつもりになって生きる(出家etc)→俗世間にとらわれ(=恥によって行動を制約され)ないようにすつためには、恥の意識をもたらす「観察する自己」を、本来の自己と一元化することにより消すことができる。

③主義

・階層制:それぞれに「応分の場」を与えられ、その階級における行動規範を果たすことが秩序をたもつことにつながる。(=状況に応じた行動規範)

・精神主義:精神的鍛練は物質を凌ぐ

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①戦後、日本にはアメリカの平等主義や個人主義思想が流入し、かなり浸透してきている。グローバリゼーションによって新自由主義的な、自己責任論が流入してきている。これは、当のアメリカならこの制度で機能するかもしれないが、独自の文化体系を持つ日本社会においてこれがうまく機能しているかどうかがかなり怪しい。著者は日本人は、競争を嫌う。事実、競争をすることでテストの成績がそうしない場合よりも低下すると述べていた。文化統合の過程で、日本の経済的パフォーマンスが、アメリカ文化と日本文化の軋轢の間で低下してしまっているとは言えないだろうか。例えば終身雇用制を、実力主義にかえたところ、パフォーマンスが低下したという問題。階級的な応分の場があったからこそ、上司が部下の手ほどきを徹底して、技術の継承を行えていたのだが、競争原理を導入したとたんに、新人は上司にとっての敵になってしまい、会社全体での生産力は落ちてしまったというブログ記事を先日見た。

②日本人の国民性は、「応分の場」にてしかるべき行動をとることが、最高の徳目とされた。これは倫理的基準が相対的であり、状況依存的であることの所以である。そしてこの柔軟な倫理基準により、戦後のグローバリゼーションにおいて自身を活路を見出すことができた。日本人は適応能力がたかかったからこそ、戦後のアメリカ対日政策においてもそれほど大きな問題は起こらなかった。
しかし、いままさに起こっている宗教戦争そ側面をもった国々との関係において、アメリカが良かれとおもって文化の輸出を行った場合、イスラム国家はアメリカと同じ「絶対的な倫理基準」を持ったbンかであるため、それと相いれないものであれば、それを守るために大きな軋轢が生じてしまう。それが9.11であったわけだ。そうかんがえるとグローバリゼーションにおいて、文化衝突が起こる国々は、全体論的な倫理基準をもった国々のほうがより深刻であるといえる。

鬱病から抜け出すには

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● 鬱病における問題


・何かに期待して、その何かがその期待を果たしてくれるという思い込み
→結果的にその期待が裏切られて、ショックをうける。

・他者依存的になってしまう。他者依存は、一時的には気を紛らわすことができるが、他者がいなくなった瞬間に、とてつもない孤独感を感じてしまう。つまり、根本的な解決にはならない。

・他者に認められることに躍起となって、希望通りの自分にならないと、自分の意味を見いだせなくなり、悪化する。

● 鬱病を克服するには

・自分自身の力で、鬱病を治そうとする意志と、努力が必要。

・その努力とは、自分にとっての小さな成功体験を繰り返すこと。

・一つの問題にたいして、執拗に悩むことを避ける。その問題は、「あ、そうなんだ」くらい軽く扱う努力を意識的にする。悩んでいる自分が、かわいそうだと同情したり、それを環境のせいにしている限りは鬱病は克服できない。自発的に、自分から、自分の行動で、自分の意志で何かをやり遂げる成功経験があること、またはそれを目指すことで、他者から与えられる自信ではなく、自分に対する自信を持つことができ、それが鬱病克服につながる。

・悩んで寝たきりになってネガティブな思考のサークルに入ることは、鬱病を治したいと思う人間にとって、甘えだと考えたほうがいい(らしい)。いくらつらくても、鬱病を本気で治したいと思っているなら、今までのつらい環境に甘んじず、努力することが必要。例えば、自分の感情をコントロールする技術。例えば、悩んだら体を動かす。体を動かすことで、そのネガティブな思考から抜け出すことを心がける。トイレ掃除とか、体を使うし、達成感にも満ち溢れるからよいらしい。

● まとめ

鬱病は、結局他者は解決してくれない。他者への依存は、逆にうつの長期化につながる。そして、他者に対する期待は、決して果たされることはないという現実を、しっかりと受容すること。その救いがたい環境を、一般的な、理想的な環境と比較して、自分の環境に、理想の当たり前の環境を期待することをやめること。環境が変わることを期待しないこと。鬱病を解決できるのは自分自身しかいないということ。その自分自身が、自分なりに努力し、自発的に存在の意味を見出す必要がある。