【卒論の関心】塾が学校に与える影響について

卒論の関心




そろそろ卒論書くシーズンなので、問題意識とかコンセプトマップに落とし込みます。でもその前に、自分の問題意識をぶちまけておいて後で戻る位置を明確にしておきます。そんでもって問題意識と初期仮設ぼぼ~んと書いておきます。





高校時代の経験と問題意識



発端となったのは、自分の高校時代の経験。私の母校の私立高校は、その年から進学プログラムに力を入れ始めた。進学プログラム一期生だったので、その当時はまだ進学のための授業というレベルには到達していなかった。
(ちなみに今はかなりレベルが上がっていて、僕がいた時よりもよっぽど進学実績がよい。)

問題は、自分自身が学校と塾、もしくは自分で勉強するという3つの選択肢の中で、選択的に学校での学習を拒否してしまったことだった。45分の世界史の授業は、家で勉強すれば15分で終わり、さらに付加価値の高い情報はwikipediaで調べれば出てくるので、おなじ45分の学習でも学べる量は2倍にも3倍にもなると思い始めると、学校に行くインセンティブがなくなってしまい、高校時代の3年生のとき、学校に行かなくなってしまった。僕は毎日朝の礼拝には出たかったし、聖書の授業には必ず出たいと思っていた。もちろん学校の先生は大好きだった。けれども、そうするとどうしても学校で勉強しなくてもよいコンテンツを勉強する必要性が出てくるため、学校に行けなかったことがすごく悔やまれた覚えがある。しかもさぼってしまう罪悪感が結構つらかった。今でもかなりご迷惑をおかけしたと思っている。しかし結局いい大学に行けた友人を見てみると、学校の先生のいうことをそのまま鵜呑みにしていたような生徒ではなく、狡賢く、功利的に授業中内職をしていたり、出欠しなければいけない授業を欠席して自主学習をしているような生徒だった。逆に一生懸命鵜呑みにしている人たちは一様に落ちていた。

そのときが、「現代における学校教育の意味」とは何なのか、本当に疑問に思うようになった。同時に、そんな中で「学校でしかできないような教育的価値を付加できるような教員とは何なのか?」と思い、先生になりたいという思いで、英語科教員免許が取れるICUに入学した。


大学入学後


大学に入ってからは、どうしたらカリキュラム以上の付加価値のある授業ができるかを研究しまくった。接頭辞などを使って、英語に興味を持ってほしくて独学で言語学をあさったり、子供のモチベーションを上げるためにどうすればいいか真剣に学びたいと思い、教育心理学も授業以外に10冊以上本を読んだし、知っているだけで実行できないのはクズだと思っていたので、入学してから集団の講師も初めて、知識を実践に落とし込んでいった。でも結局、塾に行ったときに自分の最終的な答えは、付加価値のあるコンテンツとは、生徒一人ひとりによって違うということだった。いくら自分が学んだ言語学や、英語史などをを披露しても、一定水準の知的レベルに達していない中学生にどんなに話しても、結局は恋愛の雑談のほうがよっぽどこどもをやる気にさせることもあった。だから今でも、「相手のレベルに合わせた、ドンピシャの授業をすること」が自分が出せる付加価値だと思っている。そこで、自分が先生になるというビジョンに疑問を感じるようになった。なぜなら、集団授業を前提にした学校教育では、僕が提供するソルーションは子供にとっては最大公約数的なものにすぎないからだ。偏差値45から60の生徒が内在するクラスで、最大公約数的な授業の上限値最大までに努力しても、それはベストのものを提供することができないからだ。そう思ったとき、僕が学校の先生になる意味を見失った。

教育社会学との出会い


さて、ちょうど教員になるモチベーションが下がっていた大学3年生になった矢先、僕はある学問と出会った。それは、教育社会学だ。おりしも、当時森先生という、教育社会学のShadow Education、日本では塾の教育に当たる分野を専門とされている学校の先生が外部からいらしゃっていて、僕はその授業を受けた。僕が高校生のころから感じていた問題点に関して、非常に示唆に富む視点で解説していた。彼女が僕の大学からいなくなったあと、直で連絡を取り、お会いしに行った。自分の問題意識を話すと、「面白い視点だね。」と言ってもらえたので、その後彼女に教えてもらって教育社会学会に行くことにした。そこでは、日本、韓国などで学校外教育を研究されている研究者の方に多くお会いして、インプットを得たが、やはり自分の興味、関心のある分野に関してはだれも研究していないということが分かった。

問題意識と、Shadow Educationとの比較


そこで、確信を得た。
今まで塾の教育は、日本は特に以下の点しか議論されてこなかった。

  1. 教育格差の問題
  2. 塾と学校、どちらが進学効果に影響を与えているのかという問題
  3. 塾に行くことによるストレスなどの心理的な問題
一方で、僕が実際に目の前で目の当たりにしてきた、塾と学校の関係についてはほとんど論じられていないということだ。




①教育格差の問題については、特に2000年代からずっと議論されてきている。定性的にも定量的にもかなり証明されてきていて、よくメリトクラシーとペアレントクラシーの概念を使って、理論的にも説明されてきている。以前の記事を参照してくれれば、実際こんな感じでICU生の文化資本を用いながら、格差がどう受け継がれていくかについては説明できるのだ。




②塾と学校、どちらが大きな影響を与えるかについては、正直研究を試みることができないため、難しい。というのも、同じ人間で「塾に行ったことがある」場合と「塾にいかなかった場合」を比較することはできないのだ。そこでなるべく同じような人を集めて、統計的に比較するという手法を使って研究をしていることはあるが、これに対して最適解を出すことができないし、実はあまりそれに対する解答が出たとしても面白くない。

③塾に行くストレスに関しては、中国などで研究されているが、むしろ塾に行っている人のほうがストレスが低いというデータもある。ストレスを感じるか感じないかは、親の教育水準に有意に影響しているという、どちらかというと社会・文化資本ないしは経済資本に大きな影響を受けているというような論点だった覚えがある。

「塾が学校に対して与える影響」ここで一番面白いと思うのは、どうも日本人の学者はここを全然研究していないのに、アメリカ人で塾を研究している学者ではこの言説を昔から主張している人が多いのである。ただ、定量的、定性的に研究された前例がなく、あくまでも個人の意見レベルでの、エッセイレベルで終わってしまっているのである。

それゆえ、僕は④を定量的に研究したいと思っているのだ。ここで大変になるのは、まだ研究されていない分野なので理論的なフレームワークが存在しないこと。ただ、海外の文献をあさっていると、すでに既存のフレームワークがあったりしていて面白い。(比較教育のよいところは、日本にないインサイトを輸入して、別の視点で研究できることだと思う。)例えば、ICUのDawson Walter先生が彼の論文で述べているLearning by advanceとは、塾などで先に勉強して、学校はJust a place to reviewにしていると説明している。

僕はもっとここに踏み込んで、Learning by advanceしている生徒は、学校と塾を比較して、どのようにプライオリティをつけていくのか、またその優先順位付けの点で、いわゆる比較を行い、どちらか一方を信頼しもう片方を見捨てることで、塾が学校教育の威信を下げているのではないか、みたいな感じで論を進めて行こうと思う。なぜなら自分自身がLearning by advanceをしていたせいで、学校の勉強が非効率に感じてしまい、その結果学校よりも自主勉強するということに優先順位をおいてしまったからだ。


そして、この研究をして、もし僕の初期仮説

  • 学校と塾を比較し、塾にプライオリティを置いている生徒ほど、学校への信頼が低くなり、結局学校での行動をなおざりにしてしまう

ということが証明されると、以下のような問題提起をすることができるのだ。すなわち、

  1. 学校教育はフェアではない(学校の正当化機能)
  2. 教育の市場化によって、プライベートセクターが公共領域に悪影響を与えているということ
これが言える。



1. 教育社会学、「学校の正当化」機能面での問題とは、学校が世の中の結果の格差を正当化できるというからだ。一方で、学校制度ではなく、塾などにプライオリティを置いている生徒が、学校への信頼が低いまま、内職などを通して進学してしまう場合、今までは学校教育の効果としてみなされていた部分のブラックボックスが、実は塾の効果のほうが大きいということになってしまい、学校の正当化機能が説明できなくなってしまうからだ。





2. 第二に、もしその結果生徒が学校の授業をちゃんと受けなくなってしまい、内職などを授業中にやることになると、学校教育そのものの質が下がることが考えられる。すでに中東のShadow Educationの研究では、学校の先生の授業を誰も聞いてくれず、生徒がいないと成り立たない授業が成り立たなくなり、その結果教育の質が下がり、塾に行っていない人が損するというような構造ができあがっている報告もある。


だからそれについて調べようと思っている。
ただ、これは僕の妄想かもしれないし、身の回りに起こっているバイアスなだけで、マクロでみるとはずれているかもしれない。

実際、大学に入ってから、いろんな人に出会った。僕みたいに海城高校の友人は、ほとんどの人が授業中に内職で塾の勉強をしている人もいるみたいだし、逆に地方からの友人はそんなこと一切なく、みんな学校の先生の授業だけきっちり受けていれば受かっていたというところもあることを学んだ。
同時に、学校への信頼感を持っている人は学校の勉強をしっかりとやるし、逆に学校の勉強では物足りないと思っている人であれば、功利的に学校という選択肢を捨て、内緒という行動を選ぶのであろうと思った。

だから、先ほどの2個が検証されうるとしても、どのような環境下ならその状態が発動するのかなども調べてみたい。おそらく周りに塾があるか、地方/都市などの地理的変数にも大きく左右されるはずだ。

ということで、こんな感じで卒論書いていくつもりなので、だれかアドバイスがあったらください!意見でもなんでもいいのでよろしくお願いします。



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