フロイト三層理論と自我分析

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橋本さんの話きいて思ったこと。
最近自分は「こうあるべきだ」(超自我)の概念に、「こうあるためにはどうすればいいか」(自我)の部分が押されて、こうあるべき姿ではないことばかり悔やんで自己嫌悪に陥っていたんだと思った。ここ最近、じゃあこうあるべきだと思うならどうすればいいのかというコントロール能力をつける訓練をしていて(自我コントロール)、自分のコンプレックスをも対処できないものとして延々と頭の中で考えるんじゃなくて、どうしたら克服できるのか、そしてその克服のために具体的な解決策を立てて危機と向き合うということで、超自我にとらわれることが少なくなってきた。
あとは自分の本能的な幸福感(イド)のマネージ方法。熱く夢を語っているときだけ体からみなぎるやる気と、すさまじいパフォーマンスが発揮できるけど、ひとたびそれが消えてしまえば超自我との戦いにくたくたになってもはやそれどころではなくなってしまう。先生がおっしゃっていたのは常にインスパイアし合える仲間をまわりにおくこと。常にイドにアクセスできる環境を意図的に作り出すことがパフォーマンス向上に必須条件であるんだなと思った。

NON-WESTERN EDUCATIONAL TRADITIONSを読んで

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●序章

・教育において、西洋の教育についてなにかしら有意義な点を取り入れようとする試みがめったにないという問題

・Orientalismという見方が、非西洋を偏見の目で見るだけではなく、「The other」として見ることにつながり、自分の価値観と照らし合わせてそれを見ることになる。例えば、9.11以降のアメリカとアラブ諸国の関係。「イスラム教は、危険か、危険ではないか」という浅はかな考え方にしからないない。

・同じことが教育に言えて、西洋という一つのdiscourseでのみ(例えば歴史)考えると、そのdiscourseのみでしか考えることができなくなる。(イスラムの理解は、確かに偏ってないか??)ゆえに本論の目的は、様々な過去のeducational discourseを学ぶことで、より豊かな教育理念や教育実践が行えるような、よりopenでdiverseなapproachを試みることができるようにするためである。例えば、ちょうど男女格差を是正する運動がsocial equality and justiceから行われた際に、今までは男女二元論というバイアスで見えなかったsexually neutralな人をsocial scienceを見つけ出したように、教育の問題も様々なdiscourseから考察することで解決できる問題があるはずだ。

・ethnocentrism: tendency to view our culture as superior to other cultural groups.
cultural ethnocentrism: individualのよるetnnocentrism
epistemological ethnocentrism;学問全体におけるethnocentrism
paradigm: a general perspective, away of breaking down the compleity of the real world
its strong point: paradigms tell what is important, legitimate, and reasonable, and tell what to do without the necessity of considering long existential logical consideration.
its weak point: unquestioned assumption of paradigms.

・ Education=" schooling"という考え方は、non-western countriesに socializationやacculturationという名目上で、西洋のparadigmを押し付けているわけで、これはindigenous educationを除外している。

・自分の文化を、世界に存在する文化の一つであるという視点を持つことが大変重要である。
 "in order to better understand the many educational traditions that exists and that have existed it will be necessary to wxpand substancially the methodological tools at the disposal of schoolors, using not only the standard methods of historeical and philosophical schlorship, but increasingly, those of such siciplines as antholopology, and others. いままでの歴史や哲学は西洋のものに基づいているので、もっと多角的な、それこそ国々の文化を調べる文化人類学や、ジェンダー学、言語学などから教育を見ていくことで、偏狭な西洋的教育観から抜け出して、その文化のコンテクストから教育を見ることができるのではないか=これはまさに、ルース・ベネディクトが西洋的に日本の教育観を観察して、異様だと刻印づけるのをやめ、日本を日本のコンテクストから観察して、日本人の価値体系を、極力ethnocentrism的バイアスから離れて、的確に分析したのと似ている=リベラルアーツが教育学を見ていくことで重要である。