2016-12-01

『学力と階層(刈谷剛彦)』ゆとり教育が格差を拡げた?

『学力と階層』を読んでみました



「勉強は生まれによって大きく有利不利が変わる」ということは聞いたことはないでしょうか。教育社会学では、教育格差という問題を長年研究してきました。今回は教育社会学の第一人者、刈谷先生の『学力と階層』を読んでみました。


学力と階層
学力と階層
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朝日新聞出版 (2012-08-01)
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学習資本」の階層差がますます拡大する日本の教育。これまで見落とされてきた「出身階層」という社会的条件の違いが子どもたちにもたらす決定的な差について豊富なデータをもとに検証する。子どもたちの「教育格差」の背景には家庭環境が反映していることを実証的に明かし、1990年代以降、迷走を続けた日本の教育政策の弊害を指摘する。深部で進む「教育の地殻変動」に学力問題の第一人者が説く処方箋。解説・内田樹。
(目次から)1章 階層で学力が決まるのか、学力が階層を作るのか/2章 義務教育の機会は平等に保たれているか/3章 これが教員勤務の実態だ―学校週5日制完全実施後の「教員勤務実態」調査報告から/4章 教育政策をめぐる論点、論争/5章 教育の綻びをどう修正したらいいか(Amazonより)
となってます。またまた面白かったところの要約と感想を書いていきます。


目次


・階層による学力格差がすさまじい
・ゆとり教育が学力格差を広げた
・ゆとり教育の主体者である教員自体がゆとり教育に反対の人が多かった
・平等か、規制緩和による教育の質の向上か
・知識だけではなく、やる気がものをいう学習資本主義社会へ
・最後に




階層による学力格差がすさまじい


生まれによって、どれくらい学力格差が生じるのか、この本ではさまざまな定量データをもとに議論されています。

実際に刈谷氏は、小学生の両親の学歴、父親の職業から、社会階層を作り、子供の小学校での学力と態度をみる研究を行いました。その結果、学習時間、授業の理解度は、親の階層が低くなるほど少なくなりました


ここまではよくある教育社会学の研究の通説通りなのですが、おもしろいのが「総合の学習の時間にまとめ役になるかどうか」を研究した結果です。


階層ごとに集計した結果、階層上位ほど、学校の中でリーダーシップをとることが判明しました。生まれが学力のみならず、学校の中でのリーダーシップにも影響がでてきてしまうことがわかりました。点数で評価されないような「総合の学習の時間」でさえも、階層差が出ていることに驚きです。

ゆとり教育が学力格差を拡げた


ゆとり教育は、学校で学ぶ内容を減らすことで、子供の学習負担を下げた改革として有名です。刈谷氏は、このゆとり教育と格差という視点で研究されました。つまり、学校の教育の質が下がったのであれば、塾に行けない貧困層の学習機会が奪われているのではないか?ということです。


実際に刈谷氏は、1989年(ゆとり教育以前)と、2001年のデータ(ゆとり教育後)を比較して、塾にもいかず学校の勉強もほとんどやらない子ども(No Study Kids)の学力の比較をおこなったところ、2001年の小学生、中学生の国語、算数に関しても有意に平均点が下がったようです。


これはゆとり教育によって創出された空き時間を、富裕層の子供が通塾に使うようになった一方、学校の教育量が減ったため貧困層の学力が下がったのです。


よく、PISAのデータで日本の学力が下がった云々とは聞きますが、個人的にはゆとり教育は一律学力を下げたとは思いません。富裕層の学力が外部教育機関によって向上し、貧困層の学力が下がったのではないかと考えています。そして人口の圧倒的なパイをとるのは貧困層であるので、全体的に学力の平均値が下がったのではないかと考えています。

ゆとり教育の主体者である教員自体がゆとり教育に反対の人が多かった


教育改革となると、さまざまな利害から賛否両論の声があがります。ゆとり教育に限っては、教員からすると導入当初、反対の声が大きかったようです。


小学校、中学校でも、「教育改革の流れが速すぎる」「改革はおおむね子供のためになっている」「改革の方針は一貫している」「事務処理の仕事量が増した」「仕方なく対応していることがおおい」「教育改革をする目的を理解している」「全体的に言うと、今の改革に賛成している」等の質問をしたところ、ほとんど過半数の回答が、ゆとり教育の効果を疑う結果になるものでした。


また、総合的な学習の時間に対するアンケートも、「子供には今までと違う学力感をつけられている」「子供にどんな力が身についたのか不安だ」「子供の遊びの時間になっている」等の質問をした結果も、やはり同様にネガティブな回答が多かったです。


教員自体がメリットを感じておらず、また実行をする環境が整っていないのであれば、うまくいく可能性も低いでしょう。これから始まるプログラミング教育必修化も、同じようにならなければよいですね。


平等か、規制緩和による教育の質の向上か


学校教育は、公平性を保つための標準化主義か、競争させてよりよい品質を担保するためな自由主義的な方針で結構揺れます。


歴史的には、1950年代に戦争が終わって教育を推し進めていくときは、どの学校でも同じような教育を受けられるよう、学校空間を標準化していました。一方、21世紀に必要な知識経済のために、個性だったりとかを重視する自由主義的な改革(学校選択制、ゆとり教育等)が大事になってきています。


標準化と市場化って、よく考える議論ですが、よりレベルの高いものにしていくのは市場化したほうががいいのですが、そうすると格差が広がりやすくなってしまう、だからまた標準化が必要になってきます。ここのバランスって難しいですね。

知識だけではなく、やる気がものをいう学習資本主義社会へ


知識を持っている人が得する社会ではなく、その知識にたどり着こうとする意欲を持っている人が得する社会に移ろうとしています。


昔までは、ある程度学歴(=知識そのもの)を獲得すれば、それが企業へのパスとなっていて、また終身雇用制度のもとで、なんとかなりました。学歴が企業で働いたときに、「こいつは訓練したら伸びるな」っていう、一種の確約(訓練可能説)になっていたのですが、今はその制度が破たんしてきています。


今はどんどん新しいことが生まれてきて、その中に適応していかなければいけない知識経済です。単に学歴を持っているだけでは、足りなくて、新しい知識を常に吸収していく必要がある。新たな知識を主体的に身に着けていく能力(=学習資本)が必要になってくるよね。学歴ではなく、自分から学ぶ力(学習資本)によって、社会的地位が配分されているのが学習資本主義社会なんでしょう。


これは、前に茂木健一郎さん『ピンチに勝てる脳』の中で「部分最適ではもうやっていけなくて、今は全体最適の時代だ」と言っていたのとほぼ同義ですね。もう確約された雇用体系と、安定した未来は崩壊しているわけだから、どんな状況でも環境に適用できる人間になりなさいと。そのためには、自分から知識を吸収していくような人でないとだめですよっていうことなんでしょう。

最後に


過去の教育問題を見ると、これから起こる教育改革で何が怖いか予測することができる気がします。「教員は新しい改革で養成できているか」「格差はひろがらないのか」「次の時代に必要とされている能力は」「平等と教育の質の向上、両方ともバランスとれる?」など、考えることはたくさんありますね。


そういったことを考えるうえでも非常にためになる本でしたので、ぜひ読んでみてください。



学力と階層
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