微積分じゃなくて統計学をカリキュラムの頂点にしろという主張がとてもええなあと思ったので、要約と感想を書いておきます。
~要約~
現在の数学のカリキュラムは、 算数と代数を基礎とします。 その後で学習するすべてのことは、 一つの科目に向かって積み上げられていきます。 そのピラミッドの頂きにくるものが、微積分学です。 みなさんに申し上げたいのですが、 そのピラミッドの頂きは、ふさわしくありません。 正しい頂点は - すべての生徒や 高校を修了した人全てが知っているべきことはー 統計学です。 確率と統計学。
(中略)
ですから、数学、理学、工学、経済学を学ぶ学生が、 微積分を学ぶべきであることは間違いありません。 それも、大学の1年生を終えるまでには。 しかし、数学の教授としてあえて言うならば、 微積分を日常生活で使っている人はまれで、 実用的な応用がされることは滅多にないのです。 一方、 統計は、日々使うことができ、 また使うべき科目です。いいですか。 リスクのこと、リターンのこと、不確実性です。 データを理解するということです。
(中略)
最後になりますが、 生徒たちが微積分の解法を習うよりも もっと重要なことがあります。 「平均から標準偏差の2倍離れている」ことの 意味を生徒みんながわかること。これが大事です。
~感想~
これは非常にいいなあと思いました。
まず、統計を頂点にするってことは、
数学を使う動機を明確に提示できるのではないかと思ったからです。
以前紹介した『やりぬく力』で、人がやり抜くためには以下の条件が必要だとしています。
1. <興味> 自分のやっていることを心から楽しんでこそ、「情熱」が生まれる。
2. <練習> 粘り強さの表れは、きのうよりも上手になるようにと日々の努力を怠らないこと。
3. <目的> 自分の仕事は重要だと確信してこそ、情熱が実を結ぶ。
4. <希望> 希望は困難に立ち向かうための粘り強さ。
僕は中学の時は数学が本当に嫌いでした。
高校生の時に数学が面白いなと思いはじめましたが、簡単な問題が少しずつ解けて(練習)、ちゃんと頑張ればなんとかなる(希望)と思い始めたことがきっかけでした。
大学に入ってからは、数学とはおさらばしたつもりでした。しかし、教育社会学を勉強するにあたって、統計学を学ぶ必要が出てきたのです。しかも、統計学をもし使えると、例えば「なぜ貧困になるのか」「何が要因なのか」等を、客観的に見出すことができるようになるのです。
そこから、高校生のころの数学に戻って、かなり勉強をしましたが、高校生のころよりもはるかに楽しく勉強することができるようになりました。明確な目的(格差をあらわにしたい!)があるから、勉強することが楽しくなったのです。
さらに、文系でも理系でも数学を駆使して自分の興味分野を研究できるようになるという点です。
数学は、英語と同じように、基礎ができていないと全く理解できない科目です。
分数がわからない人に確率はわからない。微積ができない人に回帰分析はできないのです
僕自身が社会学を学んだ時に、急に数学の力が必要になりました。しかし、文系で数学を学ばないルートを通ってきたので、微積分に関してはほとんど勉強したことはありませんでした。だからいざ大学の「統計学入門」みたいな授業をとっても、Σがわからない、微積がわからない(数2、数B)と、取り返しがつきにくいのです。(独学である程度なんとかしましたが大変でした)
統計を数学の頂点にしたときに素晴らしいことは、いざ文系の人が統計的な研究をしたいとなったときに、基礎からもどって独学せずとも、ある程度高校生のころに基礎力があるので、大学から学習することもできるでしょう。
統計学の基礎を、カリキュラムに加える。統計学をカリキュラムの頂点にする。これは非常にいいアイディアだと思います。