【大学4年間を振り返る】そもそも、大学に行く意味はあるのか?

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どうも、就活していて、「あなたの将来成し遂げたいことは?」「あなたはどんな人間ですか?」と質問されすぎて、アンパンマンのテーマ「なんのために生まれて、なにをして喜ぶ?」って歌詞に一段と深みを帯び始めてきたDaiです。「そうさ、忘れないで生きる喜び、愛と勇気だけが友達さ」と小恥ずかしいことを潔く言えるアンパンマンみたいな人間になりたいです。オンシャーオンシャー。

さて、大学の存在意義について今まで考えてきたけど、4年になりいろいろ見えてきたので、ちょっとここで整理しておこーと思います!





そもそも大学に行く意味はあるのか?




今回のお題は「大学に行く意味はあるのか?」ってことです。

統計的に見て、「大学に行く意味」ってあるの?




さて、大学を行く意味を、「生涯年収を上げる」という目的に限定しますと、統計的には、「大学に行く意味はある」と言えます。(もちろんそれ以外の目的、もしくはその目的のための手段として大学進学というチョイスをしている方が大半だと思うので、そちらに関しては後述します。)

例えば、文科省の資料いわく、中卒・高卒・短大卒・大卒・院卒ごとに比例して生涯年収が上がっているらしいです。闇だー、闇だー!

 図1)学歴別生涯賃金の比較(男性)


図2)学歴別生涯賃金の比較(女性)


男性・女性ともに最終学歴が高ければ高いほど、生涯賃金が上がります。統計なので外れ値もあります。例えば某国の某総理大臣とかね。

教育領域の醍醐味は、確実な因果関係を求められる「正解がない」こと



ただし、これは結論として「生涯年収が高い人ほど、最終学歴が高い」と書いているだけで、「大学に行けば生涯年収が上がる」という因果関係の説明とは言い切れません。
単純に「もともと生涯年収が高い人ほど、大卒に行くような能力をはぐくむ環境に恵まれ、さらにその潜在能力を持ち合わせていた結果として大卒なだけだ」と説明できてしまいます。つまり、少なくとも相関関係でしかなく、また、因果関係を調べようとしても難しいです。


図3)高学歴だから高収入なのか




 図4)才能があるから高学歴で、かつ高収入なのか





教育という領域の面白いところは、まさにここで、同じ人間で実験ができないため、ある1人の人間が大学に行った例と、大学に行かなかった例を実験して比較することができないんですよね。だから教育は、自然科学の領域みたいにきっちりとした因果関係が求められる訳でもなく、正解がないんです。

ここ最近は統計的に、かなり正解に近い正解を求められるようになりましたが、それでも完璧な正解を見出すことは将来的にも難しいと思います。
(統計的に正しいという教育政策や教育実践を分かりやすく説明した、「学力の経済学」という本は非常に初学者でもわかりやすいのでオススメです笑)

というか逆に、教育は正解がないからこそ、成り立つ面白い産業だったりします。
塾もそうですよね。例えば、大手の塾とか優秀な人の青田買いしても、塾の効果として宣伝できますよね。塾が成績を上げたのか、もともと成績が上がりやすい(=もともと何もしなくても成績が上がる)生徒なのか分かったら成り立たなくなる、面白い産業なんです。



図5) 通塾したからよい進学実績を出せたのか


図6)もともと優秀で裕福な生徒が通塾してかつよい進学実績を出せたのか





進学校も同じで、ある生徒が進学校に行ったから、優秀になって名門大学に行ったのか、優秀な生徒だったから進学校に行ったものの、もともと頭がよかったら名門大学にいけたのか、証明できないからこそ面白いんです。(ちなみに、僕の卒論はそこを範囲に扱います。)

で、脱線したけど大学に行く意味って、そんだけなの?





さて、大学に行く意味を狭義に「生涯賃金を上げる」と定義し、データで見ていきましたが、正直こんな味気ない考察をしてきたんですけど、

例えば生徒に

生徒「先生ー!ぼく勉強する意味なんて分からないよー!つまんないよー!べつにしなくたって生きていけるじゃん!勉強なんてしなくていいよ!」

と言われたとして、こう答えたらどうでしょうか。

先生「私はあなたの意見に同意しかねます。君の考えは間違っているからです。結論から申しますと、学歴が高ければ高いほど、生涯賃金を上げることにつながるからです。その根拠として、文科省(2013)の学歴別生涯賃金の変化を参照していただけますとご理解いただけると思います。この結果から、学歴が上がるほど収入は高くなることがわかっています。上記のような理由から君の発想は間違っていて、このままだと、君の生涯賃金が著しく下がる可能性があると思いますので、つべこべいわず勉強することが得策だと思われますがいかがでしょうか。

それって、なんか違うってかなんだこいつ。


実際、生涯賃金の観点から大学に行く意味を議論してもあんまり面白くないので、生涯賃金とは別の視点で「大学に行く意味」を見ていきたいと思います。

人生の意味とは?


ということで、大学に行く目的を考えたときに、そもそもの「人生の目的」について考える必要があると思います。(よ、さすが元哲学科志望!)

人生の意味とはまずは「幸せになること」だと思います。それこそ不幸せになろうとしている人はいない(いたとしても『嫌われる勇気』に書かれていた、アドラー心理学がいうには、「無意識的にその選択肢を主体的に選んでいるはずです。
さて、ハッピーな人生を歩むためにには「自己実現ができるような人生を送ること」が必要ですよね。それは「ワークライフバランス」「セックス」から、「他者貢献」「仕事」など、いろいろあると思います。
その生活を送るためには、それが達成できる選択肢を知りつつ、主体的に手に入れていくことが必要だと思います。      

私が考える、大学に行くべきたった1つの理由


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さて、4年間の大学に通う意味を考え続けてはや4年。(もっと広げると「そもそも学校って意味あるの?」と考えてはや7年)。選んだのは、一つの答えでした。「この時代で、大学に行く意味は?」と聞かれて唯一できる答えは、「人生における選択肢を増やせるから」です。


大学で得られる3つの選択肢とは?


さて、大学で得られる「選択肢」とはなんでしょうか。
一つは①学習環境で、もう一つは、②人間関係で、最後に③自由に使える時間です。
ちなみに、学習環境<人間関係<自由に使える時間の順で、重要度が上がっていくと個人的に考えています。



大学が提供する「学習環境」とは「コンテンツ」と「義務的学習空間」

さて、大学が提供する学習環境についてなんですけど、大きく分けて2つです。
コンテンツと②義務的学習空間です。


①コンテンツとが、学問そのものの学習内容として定義します。具体的には、教育心理学であれば、「内発的動機」「外発的動機」といった概念そのものです。

ただし、①コンテンツにかんしては突っ込んだ専門性が必要なものに限らなければ、インターネットなどで代替可能だと思っています。
というのも、これは前記事でも説明しましたが、正直コンテンツに関しては、21世紀世代からするとほとんどネットの力で代替可能です
これはフレッシュマンの頃から、いやさらに高校生の頃から考えに考えていたことです。
はなしがそれますが、高校の時代から、アンドロイド端末がつかえていたので、ネットによる学問の自由化はそもそも高校生の自分でもすでに確保されていました。
僕が高校生のころには、すでにmanaveeがネットで授業を無料で公開して、受験勉強ができるような仕組みがありましたし、それを活用して簡単な予習に関しては対応していました。
なにより、高校生のスケベな僕からしてみればかわいいハーフのおにゃのこの授業(しかも大学生)を半分下心で見ながら、動画で学習できたからモチベーションが上がったし、一般的な授業と比べてその分自由な時間に何度でも見れるので、圧倒的に費用対効果が高かったです。(ちなみに大学時代では一時的に某団体に迷惑をかけるだけでしたが参画させていただけたことは非常に光栄でした。)


それに、教科書に書いていない内容は、例えば世界史であれば、「タラス河畔の戦い wiki」とググればわかってしまいます。そうすると、今まで僕の中では、「+αの知識」が先生の存在意義だったのに、それさえも代替可能になってしまうのです。

それに加えて、大学に入ってからは、それこそE-learningという概念を知り、今やグローバルレベルで英語さえできれば学習できる環境はそろっていることを知りました。

例えば、今でもよく利用させていただいているKhan Academyでは、無料で小学生から大学生レベルでの算数、プログラミングをはじめ、マクロ、ミクロ経済学なんかについては勉強できてしまいます。プログラミングに関しては、簡単はHTML、CSSなんかはこのサイトで簡単に学習できてしまいますし、このブログもその知識で少しいじってます。ほかにもCourselaをはじめとするMassive Online Open Course(MOOCs)を使えば、無料で大学の講義を見れてしまいます





コンテンツよりも大事なのは、「義務的学習空間」


なので、①コンテンツに関しては、大学が提供する価値としてはほかのもので代替可能なので低いです。ただし、②義務的な学習空間については、正直かなり意味があると思います。

たとえば、もともと勉強する気がない人は、強制的な学習環境がなければ勉強しませんし、僕みたいに勉強の意欲はあるけど、興味ないものには手を出さない人にとっては、「修了必要な単位」が決まっていることほど、幅広い教養を広めるチャンスは大学以外あまりありません。
強制的に、幅広い教養を身に着けるための仕組みとして、大学は非常に大きな価値が今でもあると思います。

ちなみに、一年生のころから同じ教育専攻の親友と話していますが、この強制的に学習する環境のために大学というハコは今後も存続するだろうなってよく議論しています。
彼は教育工学でE-learningを専攻しておりますが、やはりe-learningの最大の課題は継続率にあるそうです。


大学が提供する「人間関係」とは何か

大学が提供する人間関係は①学内、②学外にあります。
いずれももたらすメリットとしては、「多様な人間と同時に出会うことで、多様性にもまれて本当の自分に出会うことができる点」だと思います。たった偶然の出会いが、人生を180度変える経験は大学時代に何度も経験しております。人間関係の多様性にもまれることで、はじめて自分自身とは何かを見直すことができるという点で、大学時代に多様な人間に知り合うことは、中長期的に非常に有意義なことだと思います。

例えば、もともと先生になりたかった自分が、なぜか今「組織とヒト」という視点で就職活動をしているのも、もとはといえば先ほど紹介した友人との出会いや、教職をとっていた仲間との出会いから、今までにつながっています。

「manaveeって知ってる?」と友人から持ち掛けられ、manaveeに紹介してもらい、働かせてもらい、そこで知り合った人から紹介してもらったベンチャーで働かせてもらい、教育とビジネスの間で働きつつも、「自分ってこんなことによろこびを感じるし、逆に先生ってそれをやることってできないんだ」と感じさせるような経験をしました。教職では、お互いが先生として理想で掲げているものを夜通し語り合ったりしながら、やはり漠然と違和感を感じつつ、最後で「これは自分のやりたいことではない」と気づき、3年間と半月履修した教職課程を止めました。

話すと長くなるので、ここまでにしておきますが、要は人間関係の中で知りえる情報や、そこで得られる選択肢を通して、いろいろな経験をすることができます。いろいろな経験を友人と、またその広がりの中ですることで、自分とは何かを見つめなおすことができること、これが自分の中で大学生活が非常によい経験だったと思っています。

その人間関係の質とは、多様性のことです。そして、これは直感ですが、多様性が大きいほどより高学歴な大学だと思います。
もちろん一般化してしまうのはだめですが、やはりある程度の人たちと話していると、同じような考えで、同じように全体最適化されてしまう人が多いので、その中で本当の自分を見出すことが非常に難しいです。(そういう人ほど「個」を主張したがるのは非常に面白いところです。)



図7) 学力と多様性の相関図(適当)



さて、今度は「人間関係」を学内と学外で分けたときに、図としては下みたいな感じになります。
あえてこの軸で分けたのは理由があって、大学の目的を考えて、この軸で大学を評価する時に非常に重要な示唆に富んでいるからです。


図8) 人間関係図


それは、大学によって学内・学外の人間にアプローチしやすいかいなかという問題です。この点に関しては別記事で、今後ご紹介いたします。端的に言うと、学外に関してはICUはくそです。OBOGほとんど見当たりません。学内の関係については、かなり広くなるのですが。(友人の友人は友人がほぼ100%成立する狭いコミュニティです。)


図9)大学別大学ネットワーク学内・学外グラフ(くっそ適当)






大学が提供する「自由に使える時間」とは何か


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大学4年間で使える「自由に使える時間:とは、さまざまな選択肢を時間が許す限りすべて試すことができる魔法の時間のことを指します。
そして、これは人間関係と一緒で、いろんな人の多様性の中で自分はどんな人間なのかを理解するのと同様に、いろんな選択肢の中で、自分の中で何が一番フィットするのかを理解するための資源だと思います。

僕自身、いろいろ試しました。大学1年目は体育会系サークルに入り、「汚れがとれない石鹸」なみの価値しかないこと(つまりいないほうがマシ)を知り、「これはどんなに努力しても向いてないんだな~」と塾講師に方向転換。塾講師もそれなりに頑張り、生徒の満足度ランキングも上位までいきましたが、「学力を上げるための個々人の先生の能力より、システムでどうにかなる部分のほうが多くないか?」と考えた結果e-learningのmanaveeに参画したものの、「俺ってプログラミング全然才能ないやん、相当時間かけないとできないし、迷惑かけるだけだ」と思いつつ、最終的に営業のインターンをやって人に教えて成果出してもらう経験して初めて「あ、俺って人と組織の育成に興味あるのかも?」ということに気づけました。

4年間の中でやっと本当にやりたいことを見つけましたし、逆に4年間という歳月がなければ決して見つけられなかったことだと思います。
その面で、いろんな選択肢にもまれるための自由に使える時間は、非常に大事だと思いました。(ただし全てに手を出してなーなーになった時期もありました。広げて狭めて深く追求していくのが大事ですね。)

そして「アンパンマン」へ・・・・・


さて、今まで「多様性の中でもまれて、本当の自分とは何か」を知ることができることを書いてきました。そして、ここで伏線を回収しますが、多様性の中にもまれて初めて「何のために生まれて、何をして喜ぶ」ことを知ることができるのだと思います。

後輩に相談されることが多いんですけど、いろんなこと試すか、一つのもの徹底するか。僕自身は成功例ではないのですが、個人的にはいろんなもの試してベストなもの選ぶのが一番楽しい人生を送れるのではないかなと将来に期待しています。
こんな偉そうなこと言って、ニートになったらごめんなさい。

まとめ

  • 大学に行く価値は、①生涯年収の増加という観点で確かに価値はあると思います!
  • 一方で、人生においてどのような意味があるかというと、それは自己実現ができるような選択肢を得るためだと思ってます!
  • 大学生活の4年間は、(1)学習環境(2)人間関係(3)自由な時間を与えられていて、
  • その中の学問・人間関係・また余暇時間でえられる様々な選択肢にもまれて、ベストな人生を選ぶことが大事だと思いまーす!