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公開日 : 2016-05-07

なぜ人は「ヘンな人」になろうとするのか

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今日のテーマは「本当にヘンな人」と「ヘンになろうとする人」の違いについてです。


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てか、なんでそんなしょーもないこと気になったの?


ひまではないです。が、気になってほかのことに集中できなくなってきたからです。
疑問に思った理由は、「あえてヘンになろうとしている人ほど、普通な人が多いのはなんでだろう」と思ったからです。

逆に本当にヘンな人はもともとヘンで、特にあえてヘンになろうとする努力をしなくてもヘンじゃないですか。
「なぜ普通な人はあえてヘンになろうとするのか」って謎だなって思って。直感的には思うんですけど、ロジックに落とし込むとなかなか説明が難しい・・・・





じゃあさ、「ヘンなヒト」で思い描く人ってどんな人よ?



個人的にヘンだと思う人の例を出して、帰納的にケースを抽象化してみようと思います。

ケース① 夜10時には寝たいので、どんなに大切な人とでも、飲み会は9時までしか絶対参加しない友人

ケース② 朝8時にリフレッシュのために一人で毎朝公園で逆立ちしてSNSに写真を挙げている友人

ケース③ 自分の自慰の記録をGoogle Formsに入力して、自分の体調管理を行う先輩

ケース④ 高校の授業がつまらなすぎて非効率だと思い、高校中退して大検とって東大に行った人

ケース⑤ 一人で木登りして自撮りした写真をSNSにアップする友人



「ヘンな人」の特徴


さきほどのケースをもとに、見ていきたいと思います。

そんでもって、何をもって「ヘン」とするかは、個人の主観になりがちなので、最初に「ヘンな人」を定義します。今のケースから帰納的に抽象化すると、「ヘンな人」の定義は

  • 「世間一般的な人間の興味や不安基準とずれている人」

だと思います。






例えば①なら、ふつう大切な人との飲み会からいなくなることが不安になると思いますが、その人の場合は夜10時に寝れないほうが不安なわけで、これって世間一般な人と不安の基準のずれがおおきいと思います。

②、⑤に関しても、普通一人でSNSに逆立ちの写真アップしたり、木登りして自撮りした写真をSNSにアップするのって、世間一般的な視点で見たら、周りの目から見たときに「あ、こいつやばい奴だ!」って思われると不安になると思うんですけど、おそらく彼らにはそれ以上の何かに強い関心を抱いているんだと思うんですよね。その点、関心と不安のズレがあると思うんです。

④に関しても、あえて中退するというリスクをとることは、世間的には考えられない不安になると思います。しかし非効率的だからという考えから、効率的なことに関心を持ち、自分の道をきりひらいたのです。不安と関心のズレが大きいということですね


じゃあさ、例えばだけど「ヘンになろうとする人」ってどんな人?



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一方で、「ヘンになろうとする人」とは、どんな人でしょう。

例えば、中学生のころぐらいからぽつぽつと「ヘンになろうとする人」が現れてきます。ギャングエイジになると、やんちゃな男の子たちは、集団になると反社会的な「ヘンな」行動を起こしはじめ、つまりは社会規範からあえて外れようとする営みを行うようになります。

もちろん大学生になっても、反社会的な行動はとりませんが、お互いが「ヘン」であることを確認することで、コミュニティを形成する人たちも多いと思います。「○○○ちゃんってマジでヘンだよね~、マジ○○○メンツってほかの人と全然違っておもしろ~い」みたいな感じです。

「ヘンになろうとする人」は、「ヘンなこと」という儀式を通して、共同体を形成し、承認を目標とする





「ヘンになろうとする人」と「ヘンな人」の決定的な特徴は、本当にヘンな人と違って、「へんなこと」をするためにコミュニティが必要になることです。

「ヘンなことをするための友達」っていませんかね。それにあたると思います。
「ヘンになろうとする」普通な人は、そのコミュニティに存在することで、「ヘンなこと」という儀式を行い、その結果、「ヘンな人」として、共同体から承認されます。そこでは、「ヘンな人」として承認されることになりますが、結局は「ヘンになろうとする人」にすぎないのです。
このように、普通の人は、「ヘンなこと」という儀式を通して、共同体を形成し、その共同体内で「変な人」の承認をうけ、共同性を確保するのだと思います。
そしてその「ヘンなこと」はコミュニティ特有の儀式であり、ひとたびそのコミュニティから出てしまうと、その「ヘンなこと」は観察されなくなります。

本当に「ヘンな人」は、「ヘンである」という承認が必要がないが、「ヘンな人」が集まってくる


そんでもって、一方で周りにいる本当に「ヘンな人」は、自分がへんであることを認知していないし、「へんなこと」を意識的にやっていません。話を聞いて初めて「ヘンな人」だとわかるケースが多いです。

ただ、ヘンな人の周りにはヘンな人が集まります。「ヘンな人の共同体」は、「ヘン」である結果として別のベクトルで「ヘンな人」が集まり、ヘンな人の共同体ができますが、これは「承認」を目的とした「ヘンになろうとする人」とは全く違うプロセスを踏んだ共同体です

「ヘンになろうとする人」たちの承認の共同体では、本当に「へんな人」を排斥する風土がある

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一番言いたかったのはこれです笑

本当に変な人たちの周りには、人間から見て「こいつ大丈夫か?」みたいな人もかなり多いと思います。一方で、「承認」を目的とした「ヘンになろうとする人」たちの共同体からすると、本当に「ヘンな人」は異分子となります。

なぜなら、「ヘンになろうとする人」たちの承認の共同体は、ある特定の「ヘンなこと」という儀式を通して、「承認」を共有していますが、本当に「ヘンな人」は、多くの場合、その儀式を共有しません。それは本当にへんな人は、「世間一般の人が持つ不安・関心基準とずれている」からこそ、その儀式の重要性がわからないからです。「ヘンになろうとする人」たちの儀式を守れないということは、そのコミュニティを脅かす存在となり、排斥されてしまうのではないかと思います。

実際、中高生時代、僕が本当に「ヘンな人」だと思っていた人は、人と明らかに違って、多様性をもって、輝いている人が大きかったですが、ほとんどDQNグループから排斥されていました。

多様性を受け入れられないこと、それは共同体内での価値観から抜け出せないからであり、これがいじめの原因なのかな~。

Isolated Crazy Utopia(ICU)なんて言ってる場合じゃねえぞ



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そして、その可能性が大学文化として少し見られる大学が、ICUだと思っています。別に排斥などをするわけではないですが、ICUという共同体の中で、冗談としてでも「crazyな人たち」という「ヘンになろうとする人」のコミュニティ内にとどまり、「変な人」として承認の共同体で安穏としていると、中長期的に大きな機会損失になるとひしひし感じております。ICUはたいして変な大学ではないといろんな大学の人と知り合って思いました。

それに、多様性にもまれることこそ、自分自身の「へんな」ところに気づくチャンスだと思います。
そういう意味で、外に出れば、ICUよりも「ヘンな人」なんて無数にいます。だからICU生は就職よりももう少し早い段階でいろんなヘンな人に会いに行くこと、多様性に触れ、自分の「ヘンなところ」に気づいていくことが(就活の時に「あなたの強みはなんですか」みたいな質問もくるだろうし)大事だと個人的に思っています。


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