日本人は積み上げ式のほうが、学習効率がよいと考える。
基礎ができなければ応用ができないといった考え方だ。
ところで、日本の総合的学習は、この逆のベクトルの横断的な学習をコアに作られている。
基礎は学んでいなくても、まず先に一つの社会現象があり、それを分析する手段として、学問を学ぶという仕組みだ。
簡単に言えば、系統学習がDoing by Learning(学んで行う)ことに対して、
横断的学習はLearning by Doing(やって学ぶ)というスタンスである。
もちろん前者のほうが、基礎を徹底したうえで行えるから、のちのちの成長スピードだったり、挫折することが少なくなるかもしれない。途中で理解不可能なものが出ないから、苦労なく学習しやすいかもしれない。
一方で、後者のほうがより関心のあるテーマにいきなり取り組むことができるので、その分、「なぜこれを学習しなければいけないのか」という疑問にぶち当たらなくても、目の前の社会現象を分析する手段として、学習を行うことができるからそちらのほうがおもしろい。もちろん、基礎がないまま取り組むので、その都度自分で調べて基礎をつぶしていく必要がある。
ここ最近JAVAの学習をやっていて、課されていたものに関してなかなかモチベーションがわかなかった。これは、まさに系統学習的なカリキュラムでかつ、ゴール(実際のアウトプット)が見えない中でやっていたからなのかもしれない。もちろん理解はしやすいが、実際にものを作るとなった時のイメージが全くないので、それを学びたいという動機形成することが非常に困難だった。
その時にふと思ったのが、学習効率性の二面性だ。
①挫折がないよう理解がしやすいように抜け漏れなく基礎から学習していくこと=>ぶつからないように学習する
②モチベーションが上がる高難易度の現象に取り組み、自分で学習領域を細分化しながら学習すること=>ぶつかることを前提に学習する
この二つがあるのではないかと思った。そして、後者の重要性、特に挫折をしてまでも取り組みたいと思わせるために、ゴールに近いものから取り組ませるという手法は、見直されるべきだと思う。
選択肢として、両方選べると、人によっては学習効率が上がるのではないかと。
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