目次
- 教員免許が教育の質を高めるわけがない!
- 実際の教員免許って役にたってない
- 高学歴な先生ほど、学校の質を高めるのに・・・・
- 優秀な人ほど、教育業界から遠ざかる日本
- 優秀な社会人が戻ってこれないのは・・・
- 教員免許以外で教員になる方法を作る枠組み作りの必要性
1. 教員免許は教育の質を高めるわけがない!
教職課程で教員免許なんて教育の質の保証にはなりません。
まず、文科省が指定している教職課程は、実践が少なすぎます。
1年間塾で集団講師をすればわかりますが、最下位クラスの教壇に出れば、
どうしようもないほどアホな子どもとか、いきなり徘徊し始める子供とか、授業中消しゴム投げる子供とか、指示を聞いていない子供、宿題をやらない子どもなんか、腐るほどいます。
そういう子どもをまとめ上げて、子供をやる気にさせる。そういう中で社会性を身に着けさせる。それが教育ってものなんじゃないですか?
そういう問題を一つ一つ解決して生徒と向き合う。ダメだったところを改善する。
教員の能力なんて、実践の量と振り返りの質がすべてです。
しかも最悪の場合、教授自体が教員経験もなく、学術的世界の中だけで生きてきた人が、教育をしていることもあります。
僕は思ったんです。
日本の教職課程なんて、童貞がAV見て、セックスを学んでいるみたいなもんだと。
AVしか見たことないから(理論しか勉強していなくて、しかも全員いいこちゃんばっかりの生徒の前でシミュレーションしているだけだから)本番になって、いざ行為をしようと思うと、AVで覚えた好きなプレイを押し付けてしまうのです(実際、経験が浅い教師は現実の子どもを無視した、理想のみが先行する授業をしてしまうのです)。
しかも、そのSEXを教えるのは加藤鷹ではなく、その辺のAV通キモオタ童貞(学校教育経験のない教授)が、SEX講座をしているみたいなものなのです。
おっと、言いすぎました。
大学の教員養成授業も1mmくらいいいところはあります!
実践が全くないわけではありません。
かろうじて、文科省は「介護等体験」と教育実習を実践の機会として出しています。
でも介護等体験は
97年に当時衆議院議員だった田中真紀子の発案によって成立された、介護等体験特例法によるものである。この法律が98年4月に施行されたことによって、小中学校の免許を取りたい学生は、社会福祉施設と盲、ろう、養護学校で計7日間の介護体験を義務付けられたのである。この特例法ができた理由として、文部科学省のホームページには、「人の心の痛みのわかる人づくり,各人の価値観の相違を認められる心を持った人づくりの実現に資することを目的としている。」(日本の教員養成システム)
こんな意味不明な目的でやっているだけなのです。
やってることも草。牧場。
まず、なんだその「人の心の痛みのわかる人づくり、各人の価値観の相違を認められる心を持った人づくり」って。
なんでご老人、障害を持つお子さんとたった2週間触れ合うだけで、「心の痛み」がわかるなんて思ってんだ。てか心の痛みってどう定義すんだよ。その「心の痛みがわかる」みたいな全然具体的でない目標で、何が身につくというのか。しかも痛みがわかるだけじゃダメでしょう。そのうえでどうすんのよ。
実際教員免許、どうなん?
教員免許を取ることで、学校教育は全国に標準化された教育の質を提供できているのでしょうか。まったく理想とは程遠いです。
学校の教育効果というよりも、家庭の教育関心と所得のほうが圧倒的に影響を与えています。
まず、地域によって、学習効果に大きな差があります。
下の図は東京都の小学校で実施した、児童・生徒の学力向上を図るための調査の算数のテスト結果です。私立中学校進学率1位の文京区と、ワースト1位の武蔵村山市を比べると、どんだけ違うのかわかりますよね。
なんだその文京区の正答率と武蔵村山市の正答率の落差は。
この違いはなんなのか。
文京区の先生が教えるのが上手で、武蔵村山市の先生があほなのか。
違います。要するに親の金と教育期待です。親の金が高いほど、子どもの教育関心が高い。そして、教育関心が高いほど子供の学力が高いだけなんです。下の図を見ればわかると思いますが、武蔵村山市の私立中学校進学率はほぼ0です。
(出典:学校基本調査とか)
もし子どもの学力が学校教育の効果でみな同じ学力を保証していれば、こんな事になるはずがないのです。
先生の教育効果なんてそんなもんです。
教育環境(親の金)が圧倒的に関係しています。
高学歴な先生ほど学校教育の質を高めるのに・・・・・
ところで、こんな研究があります。アメリカの研究なんですけど、教員免許の有無が学力向上につながるのかということを調べました。デッカーたちは、米国内の一流大学の卒業生が、教員免許を保有していないのにもかかわらず、卒業後二年間、低学力に悩む公立学校に教員として派遣されるプログラム、ティーチ・フォー・アメリカに着目し、教員免許の有無が生徒の成績にどのような影響を与えるかを調査した。すなわち、全米の5都市で17校に在籍する2000人の小学生を対象に、免許を保有する教員と保有しないティーチ・フォー・アメリカの教員をランダムに割り当て、教員免許が教員の質に与える影響を検証した。この結果、免許を持たないティーチ・フォー・アメリカの素人教員に教わった生徒は、免許を保有するプロの教員に教わった生徒と比較して、算数の点数が高く、国語では差がなかったことがわかった[15]。
また、ケインらの研究[16]によると、生徒の成績を上げる能力という点で、免許を取得している教員同士の差は、免許を取得している教員とティーチ・フォー・アメリカの教員の差の10倍にもなる。要するに、教員免許を持っているかどうかよりも一流大学を卒業しているかどうかの方が生徒の学力を向上させる上で重要であるということだ。日本の私塾経営者は、教師を採用する際、教員免許の有無よりも学歴を重視するものだが、それは合理的な事であるということだ。
教育の質を向上させるために、これまで教師の待遇の改善や教員研修などが提案されてきたが、中室によれば、参入障壁を低くする方が効果があると言う。(学力の経済学)
つまり、教員免許とかどうでもよくて、単純に先生の頭がよい(学歴が高い)かどうかで、成績を上げる能力が変わるってことです。
なんのための教員免許なの?マジで。
優秀な人ほど、教育業界から遠ざかる日本
これは教職課程をとってきた僕自身の感想ですが、優秀な人ほど、教員免許を取って新卒で教員になる選択肢を取らなくなるような気がします。こういう人に先生になってほしい!と思った人が大体「教育の構造」を変えるために、外資系コンサルティング会社や、教育ベンチャー等に修行に行ってしまいます。
逆に、「こいつには絶対に教員にはなってほしくないな」という人が先生になっていくのです。
優秀な社会人が学校教員になれない仕組み
前者のような卒業生が、あとから教員になるっていうならいいのですが、非常に難しいです。もし、教員免許を学部中にとらなかったら、よっぽどお金に余裕がない限り、教員になることは不可能です。通信教育を使いながら、教員免許を取得するための単位をとることはなんとかできますが、働きながら教育実習に3週間いき、さらに介護等体験に2週間はいくことはほぼ不可能です。教員免許以外で教員になる枠組み作りの必要
日本のくそみたいなマス向け教員研修の授業やって教員免許とっても、教師のレベルはあがりません。もっと実践を増やすなりなんなりしないと、先生としてのレベルは上がりません。そんなくそみたいな免許取るなら、授業外の放課後ボランティアで大学生が無料で生徒に教える機会作ったほうが格差も縮められるし、教員の卵も能力があがるだろうしいいのでは?
そして、くそみたいな免許は持ってるけど能力ありませんみたいな教師ばかりが先生になってしまう流れを変えなければなりません。教員免許取得の壁を低くして、もっと高学歴優秀層がちょちょっと教員に転職できるような環境を作らないと、やばいです。
幸い、Teach For Japanがそれに近いことやってるけど、足りないと思います。
教員免許の規制緩和して、もっと別の枠組みを用意してくれないかと思います。
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