学歴フィルターは差別なのか
最近、ゆうちょ銀行が学歴フィルターを裏で使っていたことが発覚して、炎上していました。
業界研究セミナーと称する事実上の採用活動イベントへの参加申し込み枠が、学生の在籍大学によって操作されており、「日東駒専」で登録したアカウントでは満席となっていたセミナーが「東京大学」で登録すると参加可能になっていた、ということらしい。「学歴フィルター」を公表したらよいを公表したらよい
ニュースのコメントを見ると、「学歴重視ではなく、人物重視で見るべきだ、人を学歴で判断するのはおかしい。差別だ」という声が多いです。
本当に学歴フィルターは差別なのでしょうか。
結論から言うと、企業が学歴で人を採用することは差別ではないです。
(学歴フィルターが有効かどうかはここでは議論しません。)
そもそも、この不当と正当を分ける基準はなんでしょうか。
つまり、一生懸命努力して、能力があったとしても、金銭的な理由(属性的な理由)で学歴を獲得できなかった人たちは、能力があっても学歴フィルターにひっかかってしまうのです。
こう考えると、確かに努力も能力もない高学歴と、めっちゃくちゃ努力する優秀な中卒の人が、学歴によって判断されるのはおかしいと思います。
ちなみに東大生とハーバード生の親の年収がやばいことになってたり、難関私立大学の私立中高一貫校出身率パねえってことも以前記事にしましたが、生まれによって学力とりやすくなってるわけなんですよね。
東大もハーバードも、結局金持ちばっかだね
だからといって、学歴フィルターを使うこと自体が差別かというのは議論が飛びすぎています。だって努力できる力と能力はある程度学歴で測れますからね。
本当の問題は、学歴獲得までの生まれの格差が大きすぎることです。
これだけでも、人生の難易度は本当に変わってしまいます。教育は課金ゲーなので。なので、本当に議論するべきなのは、いかに学歴が平等な環境で手に入るようになるかだと個人的には思っております。
みなさんはどう思いますでしょうか。
・採用効率性
・学校不要論
等の切り口からも様々な議論ができると、さらに面白いと思います。
本当に学歴フィルターは差別なのでしょうか。
結論から言うと、企業が学歴で人を採用することは差別ではないです。
(学歴フィルターが有効かどうかはここでは議論しません。)
そもそも差別とは何か
そもそも差別とはなんでしょうか。辞書によると
差別とは、不当な理由で人を低く扱うことです。
さ‐べつ【差別】
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」(コトバンク)
さて、身近な差別はなんでしょうか。
例えば人種差別。
黒人だからという理由で奴隷にさせられたりしていましたよね。
これは、人種という理由で低く扱っているから差別な訳です。
これは、人種という理由で低く扱っているから差別な訳です。
ほかにも、男女差別もそうですよね。
今の職業は感情労働が増えてきて、女性の方が優秀なんて言われてきている社会で、依然女性の管理職は少なく、また生涯賃金も男性より100万円くらい低いわけです。これは、不当な理由で低く取り扱われているわけです。
学歴フィルターで企業が人を採用するのは差別か
やっと本題に戻りましょう。
学歴フィルターによる採用は不当な差別なのでしょうか。正当な区別なのでしょうか。
そもそも、この不当と正当を分ける基準はなんでしょうか。
それは人の能力を生まれ(属性)で判断するか、努力による業績(努力と能力)で判断するかです。
性別、人種は生まれた時点で決まります。生まれ持った特性、属性ですね。個人の努力ではどうしようもない。一方、学歴は、個人の努力とそれに対応する能力の証明(高校生までの一定の数理力)になります。つまり、業績になりますね。
大昔は、生まれで全てが決まる貴族主義、士農工商の時代でした。生まれた瞬間階級が決まり、人生のスタート地点から人生が決まってしまう。不平等な社会、属性主義だったわけですね。
一方、現代では、人を生まれに問わず努力と業績によって評価される平等な社会なのです。
そして、階級をなくし、人生のスタート地点を一緒にして、教育成果に応じて、努力と能力を評価することが平等とされてきたのです。
一方、現代では、人を生まれに問わず努力と業績によって評価される平等な社会なのです。
そして、階級をなくし、人生のスタート地点を一緒にして、教育成果に応じて、努力と能力を評価することが平等とされてきたのです。
だから努力と能力の証明である学歴によって採用を判断するのは、平等であり正当です。(コネ入社が嫌われるのはこれが正当性、つまり平等でないからです)
真の問題は、学歴フィルターではなく、格差
なので学歴フィルターは正当な理由で採用してるため、差別とは言えません。
しかし、学歴による選抜には実は大きな問題が潜んでおります。
しかし、学歴による選抜には実は大きな問題が潜んでおります。
それは、学歴を獲得するまでの、生まれの格差の影響が強すぎることです。
極端な例ですが、例えば
「MARCHに受かったけど学費がなく、仕方なく大学に行けなかったため高卒になったが、企業の学歴フィルターにかかって志望した会社にエントリーできなかった」
とか
「高校行くお金がなく中卒だけど起業して、会社を経営したけどバイアウトして、就活してるけど大手企業にエントリーできない」
こう言う人はどうでしょうか。
実は学歴フィルターの問題はここに隠れてるのです。
つまり、一生懸命努力して、能力があったとしても、金銭的な理由(属性的な理由)で学歴を獲得できなかった人たちは、能力があっても学歴フィルターにひっかかってしまうのです。
また、逆の問題もあります。例えば
「子供のときに、親になんか知らんけど幼児教室ぶち込まれて、慶應の付属小学校にぶち込まれて、そこからずっとゲームしてたけど慶應入った」
こんな人の学歴は、努力と能力の証明とは呼べないのにもかかわらず、教育投資ドーピングで学歴をゲットできてしまう人も一定数いるわけです。
「子供のときに、親になんか知らんけど幼児教室ぶち込まれて、慶應の付属小学校にぶち込まれて、そこからずっとゲームしてたけど慶應入った」
こんな人の学歴は、努力と能力の証明とは呼べないのにもかかわらず、教育投資ドーピングで学歴をゲットできてしまう人も一定数いるわけです。
こう考えると、確かに努力も能力もない高学歴と、めっちゃくちゃ努力する優秀な中卒の人が、学歴によって判断されるのはおかしいと思います。
ちなみに東大生とハーバード生の親の年収がやばいことになってたり、難関私立大学の私立中高一貫校出身率パねえってことも以前記事にしましたが、生まれによって学力とりやすくなってるわけなんですよね。
東大もハーバードも、結局金持ちばっかだね
だからと言って学歴で判断すること自体は差別ではない
だからといって、学歴フィルターを使うこと自体が差別かというのは議論が飛びすぎています。だって努力できる力と能力はある程度学歴で測れますからね。
本当の問題は、学歴獲得までの生まれの格差が大きすぎることです。
- そもそも大学に入れる必要がないと思っている親のもとで育つか/両親ともに大学を出た親の下で育つか
- 不良が多い地域で育つか、周りのお友達が勉強する地域で育つか
- 教育費用を出せない親か、出せる親か
これだけでも、人生の難易度は本当に変わってしまいます。教育は課金ゲーなので。なので、本当に議論するべきなのは、いかに学歴が平等な環境で手に入るようになるかだと個人的には思っております。
みなさんはどう思いますでしょうか。
・採用効率性
・学校不要論
等の切り口からも様々な議論ができると、さらに面白いと思います。
まとめ
・学歴フィルターは差別ではない
・ただ、学歴のゲットしやすさはかなり生まれがものをいうから、議論するなら学歴獲得までの格差について議論すべきだ