『半径5メートルの野望』を読んだ感想(はあちゅう)
はあちゅうさんのブログから引用 |
はあちゅうさんの、『半径5メートルの野望』を読んでみました。普段考えたことのあるようなテーマを、この人にしか言葉にできないような、そして強く心を動かす主張で書いていました。「あぁ、やっぱカリスマブロガーはちげえな」と心から思いました。
今回は、『半径5メートルの野望』の中で、特に心に残った言葉と、自分がどう思ったかについて書いていきたいです。
目次
・つらい過去は、笑い話に昇華する・小物は相手にするな 中傷への向き合い方
・「人生を作るのは、行動だけ」
・無関心でいられるより、嫌われるほうがマシ
・何かを得るために、何かを捨てるということ
・行動しない人ほど、理由と順番にこだわります
・はあちゅうさんの作品
つらい過去は、笑い話に昇華する
はあちゅうさんは、大学生でブログを書き始めてから、その時代には珍しく顔を出していたみたいなんですね。ブログが人に読まれるようになると、顔のことについてひたすら悪口のコメントをされて、ひどく傷ついたんです。さらにグーグルで「ブス」と画像検索すると、はあちゅうさんがトップに出てくるようになったとか汗
でも、「いつかこの経験を笑い飛ばせる場所に行く」と決意し、それをばねに今まで生きてこられて、その笑い飛ばせる夢の場所から「私、日本一のブスの称号を得た経験があります笑」と笑い話にしてしまっているんです。
これ、すっげぇ共感しました。どんなつらい過去も、努力で乗り越えて、最後には笑いに昇華できるんです。つらいときはその時だけ。恋愛も部活も仕事も。死ぬほど努力して振り返ったとき、そういうつらかった記憶ってとてもいいものになっている、というか努力しているとちゃんとポジティブにとらえられると思うんです。
「今のつらい経験をいつか笑い飛ばせる場所に行く」という野心を持つこと、これすっごく大事だなと思いました。
小物は相手にするな 中傷への向き合い方
そういう人達の「漂う小物感と人生がうまくいっていない感を確認して、「こんなたいした人生を送っていない、しょうもない人に批判されたくらいで負けないもんね」と思うそうです。
これ自分もブログ書いててコメントよくもらうのですが、フォロワー数が少ない人に「THE 小物」って多い気がします。で、だいたいそういう人は知能も低いので、まず文章を読めていないうえでずれたコメントするし、そのツイートから何か新しい見方を与えてくれるわけではないし。否定しかしないから。
フォロワー数は「自分が情報を与えている人」、フォロー数は「自分が情報をもらっている人」と書いてあって、そこから考えると、小物は人に何か与えるスタンスではなく、関心が自分にいっているから、フォロワー数が少ないのかなと思いました。で、そういう人は大して影響力もないので、ほっておいていいなと。
「人生を作るのは、行動だけ」
「人生を作るのは行動だけです。...実は行動力というのは、才能ではありません。行動を分解すると、「感情」X「作業」の二つから成り立っています。特に才能がいらない単純な作業が、行動の正体です...だから着火剤になる「感情」だけ長持ちさせることができれば、行動力のある自分に生まれ変わるのは簡単です」
これもすっげえいい言葉だと思います。結局やりたいやりたい言ってやらない人って、大してやりたいと思ってない人なんですよね。起業したい、インターンしたい!いろいろいうけど今やってない時点で大してやりたくないんだなと。やりたいならやってみろよ!って思う人、周りにたくさんいます。やろうと思う感情と、それを作業として行う、さらにそれを継続することって大事ですよね。
無関心でいられるより、嫌われるほうがマシ
はあちゅうさんは自分のブログが認知されたかったから、めっちゃくちゃIT関係者に絶大な人気のある名前出してほしいとお願いしたんですね。たぶんそこで紹介されたら、ディスられる可能性もあるわけです。でもそこではあちゅうさんは、「無関心でいられるより、嫌われるほうがマシ」と言っていて、これもめっちゃくちゃ共感しました。
何もやりたいこと成し遂げず、普通なまま終わっている。言いたいことがあっても言い出せず、誰からも傷つけられないけど、誰からも相手にされない。そんな人生よりも、だれかに馬鹿にされたり嫌われるかもしれないけど、伝えたいことを伝えて、自分のファンになってくれる人が一人でもいるほうが幸せだなぁと思うのは、自分もブログをやっててつくづく感じます。小物に100人ディスられるより、面白い人一人のコメントのほうがよっぽど価値がありますからね。
何かを得るために、何かを捨てるということ
世の中にあふれかえったものの中から、「選んだもの」と「選んだ理由」に、それまでの私の生き方が投影されている
これも共感しました。何か一つ本当に自分がやりたいことがあれば、そのために捨てなければいけない選択肢もあると思うんです。僕は去年就活してたんで、それをもろ感じました。
僕は教職をとっていて、でも先生にならないことは決めていたんですね。でも3年間とって、最後の最後で捨てるのはもったいないなんて思ってたんですけど、インターンしてた会社の上司に、「やりたいことのためには何かを捨てなきゃいけないんだよ」と言われて、そのときに初めて、自分には保険のような、無駄な選択肢がたくさんあったんだなって。本当にやるべきことにリソースを割けていないなって思ったんです。
で、ありとあらゆる選択肢を捨てて、自分はIT企業に入社したのですが、やっぱりその捨ててきた選択肢(教職)は、自分の価値観を反映しているなって思ったんです。だから就活って、選択肢を探す作業と同時に、選択肢を捨てる作業の中で、自分がやりたいことを探す「究極の自分探しの時間」なんですよね。
行動しない人ほど、理由と順番にこだわる
周りの人を動かすために、建前を整えるのは世渡り術として必要ですが、理由よりも情熱だし、必要だとしても自分の情熱を保つだけの理由でいいと思うのです。...行動しない人ほど、理由と順番にこだわります...理由がある好きより、理由がない好きのほうが強い
確かに好きな人って好きになればなるほど、その人が好きな理由がわからないと思うんですよね。自分が本当に好きなこともそう。好きなことがあって、後で少しずつ理由を言葉にできるようになってくる。始めから好きであることに理由はいらないと思います。
就活してるときに、自分が本当にやりたいことがわからなくなって、今まで好きだったことから無理くりロジックで引き出そうとしてましたが、結局好きなことってあらゆる論理すっとばして、まず好きがあると思うんです。そこから好きに理由をづけていくと思うんですよね。だからはあちゅうさんの意見にめっちゃ共感しました。
はあちゅうさんの作品
この本はかなり熱量が高く、面白かったです。はあちゅうさんは、ブログ、ツイッター、noteなどもやっているので興味があったら是非読んでみてくださいね。本はKindleで買えます。安かったのでおすすめです!
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