2017-07-01

幸せになる方法を本気出して考えてみた

幸せについて考えてみた



あぁ!幸せになりたい!5000兆円ほしい!
そんな人も多いのではないでしょうか。


通勤中に、背中に3WAYリュックを背負ってベーゴマみたいに回転している害悪おじさんを弾き飛ばされながら、「僕は今日1日の終わりにこんな不愉快な気持ちになった、不幸せだ。どうしたら幸せになれるのだろうか。てかそもそも幸せとは何か」とふと考えました。(満員電車での害悪おじさんは3人以上の投票で胴上げで電車から降ろす権利を認められるべきだと思いますのでだれか公約に入れて立候補してください。投票します。)





で、考えているうちに、「幸福を未来に設定したとしても実現可能性・評価可能性は不明。今日幸せじゃなかったら死ぬとき幸せじゃない。今の自分を精一杯幸せにする」という結論にたどり着いたので、その思考のプロセスをメモします。



ちなみにいつも小学生みたいなノリでブログを書いていますが、今日はいんちき哲学者の気分なので、哲学者っぽく簡単なことを難しく書いてみます。


引き続きうんこしながら見てください。よろしくお願いします。


目次


① 幸福の定義は原理的にできない
② 幸福をどの地点でどの地点を評価するべきなのかすらも不明
③現在の地点で、未来の自分の幸福感を仮説し、検証することはできない
④おおよそつまんない人は自分の幸福を将来だけに定義している
⑤世の中のおおよそは、将来に「定義できない幸福」を定義しろと言ってくる
⑥ならば現在、そして未来に対して、自分が幸せだったかを証明するモデルが必要だ
⑦人間の幸福度は、主観的で曖昧な幸福度によって計測するべきだ
⑧人間の幸福総量とは、一日あたりの幸福度と日数を掛け合わせたものの総和である
⑨人生の目的は幸福面積の最大化
⑩ってことはいまを生きないと幸福面積が小さくなるという話




① 幸福の定義は原理的にできない


まず、幸福について定義しようと考えましたが、幸福は定義できませんでした。
それは幸福感の相対性が原因です。相対性には二つあります。


一つは、幸福感の個人的相対性が問題です。幸福感の人的相対性とは、幸福はその人それぞれに相対的なので、幸福について全く定義できないからです。


例えば、戦時中では衣食住がもらえるだけ、家族が生きているだけでこの上なく幸せになります。現代は非常に裕福ですので、衣食住だけでは幸せになれません。存在する環境、時空間によって人間の幸せは変動します。


また、同じ現代に生きている人だけでも、社会的自己実現をしないと幸せになれない人もいれば、食って寝てるだけで幸せな人もいて、幸福階層も変わります。


もう一つは、幸福の時間的相対性です。幸福の時間的相対性とは、一人の人間の中で幸福感は常にアップデートされ続けるので、時間によって違いがあり、個人内でも定義が不可能だということです。


例えば、僕は中学生の時はかわいい女の子を抱ければいいと思っていたし、大学生のとちくるった一時期は起業して社会貢献という意識高いマンでしたし、おそらく30才には「定時に帰りたい」と吠える会社のわんわんになってるでしょう。


なので、幸せについて誰でも、まして個人内ですら納得できる共通項は存在せず、「ある条件になったときに私はしあわせである」ということはできません。





人間ができるのは、せいぜい自分の幸福をなんの基準もなく、「だいたい80%くらい幸せだったなぁ」と主観的に思うことだけです。


② 幸福をどの地点でどの地点を評価するべきなのかすらも不明


さらに難しいのは、自分が幸せか否かをいつ判断するべきなのかという問題です。
基本的には現在と未来があります。しかし、自分の幸福を評価するのは、どの地点(いつ)でどの地点(どこ)がいいのでしょうか。


就活で「自分が死んだときに葬式でなんと言われたらうれしい?か考えると、自分の幸せがわかるよ」と言われました。仮に死にそうなときに自分の幸せを評価するとしたら、どのタイミングなんでしょうか。幼少期?自分の死に際?もしくは定年する前までの自分?いつその幸福感を評価したときに、自分は報われるのでしょうか。


じゃあ今を評価するとして、今の一時点を評価するのであれば、会社にいかず彼女と鍋をやりますが、そうするとわんわんは飼い主を失うので無理です。


つまり幸福を評価する時間的な問題は闇が深いのです。

③現在の地点で、未来の自分の幸福感を仮説し、検証することはできない


将来の自分の幸福を定義してから、その将来にたどり着いたとしても、その時には自分の幸福観は大きくなっている可能性が高いです。


例えば、「30代前半で結婚して、35才で子どもができて、幸せな家庭を築いている」ことを幸福として定義しても、28才でなぜか北朝鮮の工作員に幽閉されて、北朝鮮で強制労働させられている未来を否定できないのです。そこでは毎日のコメの配給が幸福になっているかもしれないので、未来の幸福を仮説できないのです。


そうするといかに将来の自分を幸せを仮設して、その時にその未来に到達したとしても、結局は幸福感は変わっているので、意味がないのです。

④面白い人は自分の幸福を現在と将来に設定している


面白い人は、現在と将来に幸せを定義し、行動していると思います。
僕があってきたいけてるおじさん(イケオジ)とおばさん(イケオバ)は、大体今生きてて苦しいことがありながらなんだかんだ今を楽しく生きています。将来のことはそこまでかんがえず、今を一生懸命生きて、その結果幸せになっている気がします。


ぎゃくにイケてないおじさんとおばさんは(悟りおじさん、悟りおばさん)将来に幸せを定義して、救世主感を持って生きているような感じがします。


⑤世の中のおおよそは、若者に将来に幸福を定義しろと言ってくる


この幸福は幸福感の個人的相対性と、時間的相対性によって個人内であっても一切定義できないのに、社会は将来という不確定要素の強いものに絶対的な基準を置いて、幸せを定義するように要請してきます。


人間は社会環境、また時間によって幸福は変わるものである前提があれば、このような将来に幸福を定義することがおおよそ不可能であります。


確かに、よくえらいおじさんが「私はもともと社会的に○○なミッションがあって云々」と言っている人もいると思いますが、彼らだって子供のときはげーせんで遊んでたりしてるわけです。

ある共通の行動はある信念をもとに形づけられていることもありますが、それはあくまで個人がそのときそのときにいろいろ楽しんで、時間がたった後に帰納的に自分の自身の特に意味のあった経験をつなぎ合わせて語っているだけで、経験のサンプリングバイアスがはなはだしいのです。最初から幸福の抽象命題が存在したわけではないと思います。


だけど僕らはその抽象命題が最初からそこにあるべきだと思い込んでいるのではないでしょうか。僕はそれによってかなりくるしめられました。


⑥ならば現在、そして未来に対して、自分が幸せだったかを測定するモデルが必要だ


だとしたら、不確実性の高すぎる将来をもとに、自分自身の幸福度を評価することは実質できません。自分が幸せかどうかをどう評価したらいいのでしょうか。


おそらく、現在と将来の両方を幸福か考えられるモデルが必要です。ということで、それを考えてみました。

⑦人間の幸福度は、主観的で曖昧な幸福度によって計測するべきだ


・比較できない他者と共通項の存在する幸福感の定義をあきらめ
・不確実な未来を排除し
・時間によって変わるので個人内での幸せの定義も排除する
・時間によって変わる自分の幸せの変動も考慮にいれる

この4つの条件を元に、どうしたら自分の幸せを計測できるか考えてみたところ


・今日一日を主観的にあいまいに%レベルで幸福感を調べ(幸福度)
・それを日数で総和を求める
・この合計値(幸福総量)を求めればすべての説明がつくのではないか


と思いましたので、モデル化しました。人間の幸福面積モデルです。

⑧人間の幸福総量とは、一日あたりの幸福度と日数を掛け合わせたものの総和である


幸福総量とは、一日の幸福度 X 日数です。
例えば、今日一日の幸福度が70%、次の日が60%としていくと、0.7 * 1 + 0.6 + 1 = 1.3となります。



⑨人生の目的は幸福面積の最大化


この幸福度と日数を、二次元のマトリックスに変換し、これらの面積を求めると自分の人生の幸福度が評価できます。この面積を最大化することによって、自分の人生は価値あるものになります。



⑩ってことはいまを生きないと幸福面積が小さくなるという話


幸福面積という基準で自分の人生の幸福度を評価すると、ある重要な視点ができると思います。それは、いま精一杯楽しまないとこの幸福面積は最大化できないのです。


「幸福を未来に設定したとしても実現可能性・評価可能性は不明。今日幸せじゃなかったら死ぬとき幸せじゃない」と思ったのは、幸福面積を使うと理解しやすくなるのではないかなと思います。


ということで、幸福面積を最大化するために、僕に5000兆円ください!よろしくお願いします。



追記)
・今回の議題は「幸福感」であって、刹那的にやりたいことだけ無責任にやれという主張ではありません。あくまで、幸せについてどう定義し、どう測定すれば、自分の幸せを主観的に客観的に測定できるか(矛盾してますが)を書いています。
・ただしこのモデルさえも「幸せは一般化できない」という命題がある以上、一般化できないので、結局最後まで自分の自己満足です。
・というか5000兆円募金してください。


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