ふと教養について考えてみた。
教養とは、「知識の量」ではない
教養を知識の量だと思っている人がいるが、個人的にはそれは必要条件ではあるが、十分条件ではないと思っている。
そしてそれは、旧来の知識偏重主義の日本教育がもたらした、学習観に基づいていると思う。こういう人たちは、
・大学の授業に出る義務があって、義務であるから勉強するような人。「大学の授業に出なければいけない!サボるなんてありえない!」という人
・会社からキャリアパスを与えられ、そのキャリアパスを達成するためにTOEICの点数が必要で、「昇進のために必要だ!」という人。
・世の中で流行っている本を探して、「やばい流行だから読まなきゃ!」と言って読んでいる人
である。つまり、課された知識をできるだけ吸収することが、教養だと思っている。
教養とは、「知識量」 x「転移力」だと思う
しかし僕は教養とは「知識量」x「転移力」だと思っている。
転移能力とは、「異なる複数の学習領域を、シナプスのようにつなぎ合わせる能力」である。そして、さまざまな知識を頭の中にいれ(知識量)、それを結び付けて新しい視点を手に入れられる力こそが教養である。世の中のクリエイティブな偉人(スティーブジョブズ)は、無関係と思われるさまざまな知識を転移することで、大きな発明を残してきた。
転移力には、大きな問題意識と、客観性が必要である
その転移力を磨くために必要であるのは、問題意識と、客観性だ。
つまり、ある一つの問題意識、もしくは関心をもとに、さまざまな知識を整理する。そして、その軸をもとに様々な知識をつなぎ合わせるのだ。
その際、自分の問題意識が強すぎて、主観的になりすぎると、「この問題はこうに違いない!」と視野を狭めてしまう。そうではなくて、ある問題に対してできるだけ客観的な視点で、さまざまな要因を鳥瞰する誠実さも大事になる。
教養とは、知識を受動的に蓄える作業ではなく、蓄えた知識をもとに何かを生み出す積極的な姿勢によって、表現できるものなのではないだろうか。