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公開日 : 2017-08-14

なぜ「夢」を持つことが必要なのか

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なぜ夢を持つことが必要なのか。今日はたまたま配属発表があった後、友達と飯を食べてて考えたことをまとめてみた。


夢を持つことというのは、覚悟を決めて人生にある一つの仮説を持つことだと思っている。「こうすれば自分の人生はよくなる」という、ある一時点の自分自身の作り出した仮説だ。当たっているか外れているかは今の時点ではわからない。なぜならそれはその後の経験でしか検証できず、その検証を通じて、人生は軌道修正していくものだと思うからだ。




ところで、人生に夢(仮説)なんて持たなくてよいという人もいる。よく、「どの部署に配属されたいか、何がしたいか、そんなこと考えても仕方ない」という人がいる。なぜなら「仕事なんてやってみなければ分からないし、今の時点で答えを持つことは無意味だ」と考えているからだ。


この考え方は部分的に正しいと思う。すなわち「人生でやりたいこと(=夢、仮説)が、本当に人生でやりたいことなのかどうかはやってみないかぎり、それが本当にそうかどうか検証しえないから、夢を持っても仕方ない。」ということなのだ。だから夢を持つこと自体無意味だと言っているのだと思う。


でも僕は違うと思う。それは仮説なき検証ができないように、夢なき選択も、夢を検証できないのだ。何も軸となるものがないまま、実戦に出されても、すべての経験は検証のための道具になりえないのだ。検証すべき仮説がないから


やりたいことが不明確だと、どこも希望してないのに配属してもらった部署に対して根拠のない不満を言うことになる。「なんとなくいい、なんとなく悪い」と思ってるだけ。で、自分の中に言語化された仮説がないから、その不平の正体も明確にできず、文句を言うだけになってしまうのだ。特に大学生活からの社会人の移行段階で特に社会の苦しさなど知らず、さらに人間は不平不満のほうが認知しやすいようにできているから、自分の中の仮説がないと、悪いところばかり目がいくようになってしまうようになるのであろう。


一方志望動機が明確で、やりたいことがある場合だと、やってみて「これだ!」と思えば仮説検証大成功なわけだし、仮に思い通りにならなかったり、違和感を感じたとしても「これは違うぞ!」ということがわかるうえで仮説検証が成功なのだ。仮説とずれていたとしても、少なくともどこがどう違うかがわかる点で、夢なき=仮説なき人よりも得するのだ。つまりどちらにしても夢=仮説を持たなければ、何事も検証しえないのだ


だから、仮に志望通りにならなかったとしても、自分のやりたいことを明確に、はらをくくって人生の節目で仮説を立てること、これってとても大事なのだと思う。こう考えてること自体も僕の出した仮説なんだけど、2年後くらいにちゃんとドヤガオで仮説が検証できるよう頑張りたい。(これで2年後解雇されてたらとてもオチとしては面白いが)

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