2018-08-25

17年前に書かれた『インターネット的(糸井重里)』が現代の予言書だった

前にFictyの二宮さんに、「え、読んでないの?」と煽られたので、糸井重里さんの「インターネット的」を読んでみた。2-3日で読了。面白かったところメモしておく。2001年に出版された本なんだけど、現代の予言書っぽくてすさまじかった。この時はスマホもないし、ソーシャルネットワークもない。ビビる。


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糸井 重里(いとい しげさと、1948年11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家。株式会社ほぼ日[1]代表取締役社長。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優の樋口可南子。愛犬はジャック・ラッセル・テリアのブイヨン、日本モノポリー協会会長。血液型はA型[2]。
wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E4%BA%95%E9%87%8D%E9%87%8C










正直が最大の戦略である

計算高い人よりも、常に正直な人が成功しやすいみたいな社会実験の例があるらしい。

インターネットにつながっていない人たちと、ちょっとだけ先につながった人たちが重なる。これを実現させたいと思ってぼくが思い出したのは、“〝 正直は最大の戦略である”〟 という言葉です。これは社会心理学者の山岸俊男さんの著書の中にある言葉で、ぼくは非常に救われた思いがしました。

インターネット的とは


①リンク

インターネット的といったとき、軸になるもののひとつは「リンク」という発想です。  複雑な情報のカタマリどうしが互いにつながっていることが、インターネットの仕組みそのもの。いままでのつながり方というのは、有用な情報どうしが互いに機能でつながっていることが多かったわけです。これをするために、こういう情報はないか”〟 と要請があったときに、“〝 はい、その情報なら、ここにありますッ”〟 と差し出すのが、いままでの「ジョイント」的なつながり。いわば、問いと答えのセットのようなつながりですね。辞書をひくのは、こういう感じだったと思います。  しかし、「リンク」というつながり方はそういうものではありません。もともと、「問い」のほうにも、「答え」のほうにも、たくさんの付属する情報があるのですが、それが有機的につながりあうというのが魅力的です。周辺情報だとか、リンクの先のリンクにまで延々と深くつながってゆくのです。これこそが、インターネット的の一番の鍵になるわけです。

②シェア

そういった「市場がイニシアティブを持つ」という背景を考えたとき、企業にとっての「シェア」の考え方というものがきわめて重要になってきます。企業が自分の利益を考えるのは当然のことなのですが、その利益を何らかのかたちで社会に「シェア」していくという考え方が、もっと大事になる

人や企業が、シェアということを、もっと大事にしていくようになったら、いままでの社会の仕組みが、ガラッと変わってしまうかもしれません。楽しみやごちそうを、上手に分け与えてくれる「おすそわけ」の上手な人は、みんなによろこばれるし信頼もされますよね。  それと同じように、シェアの上手な会社は、これからの時代には、とても好感を持たれることになるのではないかと、ぼくは思っています。 「好感持たれることなんぞ、ナンボのもんじゃい」という反論もあるかもしれませんが、それは「生産」主体の社会での考え。一番大きく経済活動を支えていくのは「市場」なのだと思えば、好感などという一見甘っちょろいことが、どれだけ大切なことかわかってもらえるでしょう

また、実は、情報はたくさん出した人のところにドッと集まってくるんだ、という法則があるのです。もらってばかりいる人は、いつまでたっても「少しもらう」ことを続けることになります。おすそわけをたくさんしている人や企業には、「これも、あなたが配ってください」という新しい情報が集まる交差点のようになっていきます

③フラット

フラットというのは、それぞれが無名性で情報をやりとりするということと考えられます。情報のやりとり自体に意味があるので、そこでは、それぞれのポジション、年齢、性別、価値などの意味が失われているわけです。失われるのはイヤだ、という人にとっては、ありがたくないことでしょうね。せっかく築いてきた地位が、意味をなさないような場が、インターネットのつくり出す「フラット」な世界なのです

みんなが同じプライオリティを持っていることが、社会の常識なるものを下支えしていた。でも、その常識が、いまや紅白歌合戦の視聴率レベルにまで降下してきたように思います。つまり、半分くらいの人々は、いままでどおりに考えている、というくらいの感覚かなぁ。  このように、豊かな社会においては、経済も、文化も、いままでのような同じ価値観で「価値の三角形(ヒエラルキー)」をつくっていくことが困難になっていきます。いままでにも、価値が多様化しているとよくいわれていましたが、価値が多様化するというよりは、価値の“〝 順位付けが多様化する”〟“〝 価値の順位組み替えは個人の自由になっていく”〟 ということでしょう

価値=勢い


一番高い価値というのは、「なんと名付けていいかわからないけど、とにかくすごいんですよっ!」というようなもので(これは勢いがあるものにはセットで付いている場合も多いので、話はややこしくなりますが)、一般的には“〝 底力”〟 とか“〝 実力”〟 とか“〝 本物”〟 とかいう呼び方をしてきたわけです。しかし、いまは、“〝 実力”〟 というようなものよりも、“〝 勢い”〟 の価値のほうが高値で取引されているよう

位置(ポジション)を表す言葉では、価値を表せない時代がきてしまうわけです。「いま力のあるものが勝ちじゃ」という「勢いが価値である」という考え方が出てきた、と。いわば、下克上という感じですね。こういう考え方が、人気アイドルが演歌の大御所より価値があるというような、時代のイデオロギーになっていきました。つまり、“〝 勢い”〟 が一番の価値になったのは、「位置が価値である時代」がひっくり返されたからなの


情報が溢れている時代でのプライオリティの決め方





そういう状況の中で「優先順位」を決めていくというのは、どういうことでしょうか。  ここからは、かなり、ぼく個人の方法論なのですが。「やりたければやる」「選びたいものがあったら、もっといいものを待つよりも、すぐにやる」というのが、インターネット的なのではないかと考えています。網羅的でもなく、情報選択の幅を狭く限定するのでもないやり方とは、やりたいことを 逡巡 しないでやってみて「まともに間違う」こと、そして次の何かを待っているよりも早く成功なり失敗なりをして「何度でも試す」という方法なのではないでしょう


その他、この本を読んでいて漠然と考えたこと





















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